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王延翰

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王延翰(おうえんかん)は、十国・閩の第2代王。王審知在位中は節度副使に任じられていた。

後唐同光3年(925年)、王審知が薨去することで王位を継承した。当初は後唐より威武軍節度使に任じられただけであったが、,天成元年(926年)に大閩国王を。

史書の伝えるところによれば王延翰の性格は驕傲荒淫かつ残忍凶暴であり、また兄弟に民間の女性を強引に後宮に連れて来させるなどの暴政を尽くし、その結果天成元年、王延翰の弟である王延鈞及び王審知の養子である王延稟の叛乱を招いた。反乱軍は天成元年12月8日(927年1月14日)、王延翰は王延稟により捕まり斬首された。

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2009年04月26日 13:33に投稿されたエントリーのページです。

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